神戸の南京町を歩いていたとき、地元の方から少し引っかかる話を聞きました。修学旅行生がたくさん来るようになり、その層に合わせたところ、イートインよりテイクアウト中心の店が流行るようになったそうです。売れるのは伝統的な中華ではなく流行りの「映える」商品ばかりで、昔ながらの店は減り、高単価でコースを頼むお客さんは来なくなってしまった。街は夜8時には静かになり、かつての活気が薄れてしまった——という話でした。来客の多い層に丁寧に合わせたはずなのに、街そのものはむしろ痩せてしまったわけです。この逆説は南京町だけの話なのでしょうか。それとも、ほかの街でも起きているのでしょうか。調べてみると、まったく同じ構造が各地で進行していました。
1. 神戸・南京町で聞いた話
話を整理すると、こういう流れになります。南京町には修学旅行生が多く訪れます。学生さんは単価が低く、座って食べる時間も予算もありません。そこで店側は、片手で食べられて写真も撮れるテイクアウト商品に寄せていきます。すると売れ筋は伝統料理ではなく、今どきの流行スイーツや「映える」軽食に置き換わっていきます。その結果、円卓を構えてコースを出すような店は割に合わなくなり、姿を消していきました。高単価のお客さんが来なくなれば夜の需要も細り、街は早い時間に閉まってしまいます。来客のボリュームゾーンに最適化したつもりが、街全体の単価と滞在時間が下がってしまったのです。
直感的には「お客さんに合わせる」のは正しい経営判断に思えます。実際、それぞれの店は合理的に動いています。それなのに、街全体としては悪い方向へ進んでしまう。なぜ合理的な選択の積み重ねが、全体の劣化を生んでしまうのでしょうか。この問いを軸に、まずは南京町の現状を確認し、その先を行く横浜中華街と比べながら、なぜこうなってしまうのかを掘り下げていきたいと思います。
2. 南京町で実際に何が起きているか
南京町の食べ歩き商品は、人気どころがおおむね1,000円以下に収まっています。豚まん、角煮バーガー、ごま団子、台湾系のからあげ、パンダをかたどったスイーツ——そして店ごとに扱う品がかなり被っています。差別化が効きにくく、価格と話題性の競争になりやすい構造です。地元の方からは「食事なら南京町以外のほうがおいしいものが食べられる」という声すら聞かれるそうです。観光地としてのにぎわいと、食の実質的な評価が乖離し始めているサインだと言えます。
混雑とマナーの問題から、2026年には歩きながらの飲食を厳しく制限し、買った店の前や指定エリアで立ち止まって食べる方向へとルールが強化されました。これ自体は導線整理として妥当ですが、裏を返せば「食べ歩き観光地」化がそれだけ進んだということでもあります。
構造を経済の言葉で言い換えてみます。かつての中華街は「高単価・低回転」の会食経済で回っていました。北京ダックやコース、宴会・接待・家族のハレの日の食事が、大箱の店と熟練の料理人を支えていたのです。いまの主役は「低単価・高回転」の食べ歩き経済です。問題は、狭い間口で500円の品を高回転で売る屋台型のほうが、円卓を並べてコースを出す業態より坪あたりの短期収益が高いという点にあります。すると家賃が食べ歩き業態を基準に上がり、高単価店が割に合わなくなって退出していきます。この入れ替わりが街全体で進んでいくのです。
そして見落とされがちなのが、その高単価店こそが「わざわざ中華街まで行く理由」、つまりブランドを作っていたという点です。食べ歩きだけなら屋台フェスでも代替できてしまいます。看板となる本格店が消えれば、街の格そのものが薄れていきます。
3. 横浜中華街——”数年先”を行く警告
同じ力学がもっとも進んでいるのが横浜です。ここを見ると、南京町の数年先が読めてきます。約220店のうち50店ほどが食べ放題という構成になる一方で、街の看板だった老舗が相次いで倒れました。1884年創業で日本に現存する最古級とされた聘珍樓が2025年に自己破産し、1952年創業の上海料理・揚州飯店も同じ年に自己破産しています。40年以上親しまれた龍鳳酒家も、店主の高齢化と後継者不在を理由に2025年に店を閉じました。報道はこれを「会食需要の低下による老舗の閉店」と総括しています。南京町で起きていることの“完成形”が、すでに横浜には現れているのです。
横浜にはもう一つ示唆があります。伝統と信用を重んじ街のルールを作ってきた組合中心の店々と、一部の店との分断です。「安さ全振り」が街のブランドそのものを毀損してしまうという、南京町の話の実証例だと言えます。
4. 共通する”型”を抜き出す
南京町と横浜、二つの中華街で起きていることを抜き出してみると、共通の道筋が見えてきます。そしてこれは、中華街だけの話でもありません。客層が大きく変わった観光市場や温泉街など、各地の街で同じ筋書きが繰り返されてきました。整理すると、次の5段階の連鎖です。
- 大量・低単価のセグメント(修学旅行生・日帰り観光客・インバウンド)が現れる
- 坪あたり・短期利益で、そのセグメント向けの低単価業態が有利になる
- 店が横並び化し、金太郎飴のように似てくる(差別化の消失)
- 割に合わなくなった高単価業態が退出し、「わざわざ行く理由」だったブランドが痩せる
- 客単価も滞在時間も落ち、街・ブランド全体が地盤沈下する
ここで冒頭の問いに戻ります。なぜ各店が合理的に動くほど、全体は悪くなってしまうのでしょうか。その答えは「共有地の悲劇」にあります。街やブランドの評判は、誰のものでもない共有資産です。各店が安い流行品で短期収益を最大化することは、その共有資産にタダ乗りする行為に等しいのです。誰も悪意がないまま、皆が少しずつ資産を消費し、最後には枯れてしまいます。一人ひとりが賢く振る舞っても、調整役がいなければ全体は守れません。
この罠を理解している側の行動も見ておきたいと思います。観光地に限らず、ブランドが売上を取りにいって値引きを広げると、短期の数量は稼げても「いつか安く買える」という学習が起き、定価の説得力=ブランド価値が溶けていきます。そのため一部の高級ブランドは逆を行きます。象徴的なのがバーバリーで、2018年にはブランド保護のため多額の売れ残り品を焼却・破壊処分していたことを公表しました(強い批判は浴びましたが、「値引きしてでも捌く」ことを拒んだ判断でした)。安く売り切る誘惑に勝てるか——中華街の老舗が食べ歩きに転換するか踏みとどまるかと、本質は同じ問いなのです。
5. コロナは原因か、加速装置か
ここで一つの疑問が湧いてきます。これらの衰退は、コロナによる客足減少がなければ起きなかったのでしょうか。それとも、コロナがなくてもいずれこうなったのでしょうか。結論から言えば、コロナは「引き金(加速装置)」であって「原因」ではない、というのが私の見立てです。
衰退を生んだ要因は、どれもコロナより前から動き始めています。団体・社員旅行の縮小はバブル崩壊後の1990年代から進んでいました。これはコロナの約30年前です。高単価のコースや宴会を支える「会食する習慣」自体も、若者に限らずそれ以前の世代でも職場の飲み会に否定的な層が少なくないなど、コロナ前から細っていました。観光地の食べ歩き化を後押ししたインバウンドブームも2010年代の話で、コロナ前のことです。さらに、老舗の後継者不在や経営者の高齢化は、感染症とは無関係の人口動態の問題です。
ではコロナは何をしたのでしょうか。役割は三つに整理できます。第一に、会食需要を一瞬で蒸発させ、瀬戸際だった高単価店を数年早く退場させました。本来なら10年かけてじわじわ進んだはずの淘汰が、横浜の老舗倒産のように一時期に集中して表面化しました。第二に、テイクアウトや食べ歩きへの転換を一気に正当化・常態化させました。第三に、飲み会離れを不可逆にし、戻るはずだった需要が戻らなくなりました。要するにコロナは、緩やかな下り坂を崖に変えてしまったのです。方向は同じで、速度と落差だけが激変しました。
「引き金」と「原因」を分ける判定はシンプルです。①その現象はコロナ前から始まっていたか(→始まっていました)。②コロナを取り除けば防げたか(→防げません、遅らせるだけです)。この二つを満たすとき、それは原因ではなく加速要因だと言えます。中華街の件は、まさにこれに当てはまります。ただし補足すれば、コロナは破壊だけでなく再生のトリガーにもなり得ます。危機が「安いセグメントを追わない」という決断を、かえって後押しすることもあるからです。
6. では、街はどうあるべきか
鍵は「安い層を追わない」ことではなく、回遊と時間帯で棲み分ける設計にあると思います。第一に、食べ歩きゾーンと着席・会食ゾーンを物理的・時間的に分け、導線を整理すること。各地で進む歩き食べの制限は、その第一歩と位置づけられます。第二に、夜の滞在価値——予約制のコース、飲茶、酒の出る業態——を意図的に守り、賃料や組合のルールで高単価店の退出を食い止めること。
お客さんに合わせること自体は、間違いではありません。ただ「どのお客さんに、どう合わせるか」を街全体で設計しなければ、合わせたつもりが、いつのまにか街を痩せさせてしまいます。神戸で聞いたあの違和感の正体は、たぶんそこにあったのだと思います。

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